お金がなくなることを想定して動こう

お金がなくても意識はしっかりと

当たり前のことかもしれませんが、お金がないときは人間だれでも鬱になるものだと思います。よく「貧乏でも愛さえあれば幸せ」とか「どんなに貧しくても希望と笑顔のある家庭」とかいいますが、なかなかそのような気持ちを維持するのは大変だと感じます。本当にお金がないとき、希望すら持てない時もあると思います。お金がなければ、ちゃんと食べることも難しく、笑うこともできません。貧乏でも愛は遠ざからないようにしていきたいものです。

本当にお金がない時とは

本当にお金がないとき、それはどんな状態かというと、収入がなく、もちろん貯金もなく、食べるものにも事欠きます。お米があってもおかずはありません。パンの耳があってもマーガリンさえ買えません。売れるものはなんでもかんでもリサイクルショップに持ち込んだので家財もほとんどありません。テレビもラジオもMP3もありませんから、家の中はしんと静まり返り、音楽が流れることもありません。服も良いものは古着屋に持ち込んでしまうので下着のほかはかなり着古した服ばかりが残っています。ただ一張羅だけは仕事の面接のために残しておきます。

街で知人とすれ違い、声をかけても無視されるようになります。それは私の姿がいかにもみすぼらしいためでしょうか。それとも疫病神のように暗い顔をしているせいでしょうか。友達と呼べる人は食事をおごってくれたり、仕事を紹介してくれたりします。それでも本当にうまくいかないときは、その友達とすら揉めてしまったりトラブルに巻き込まれたりして疎遠になってしまうものです。たとえば、借りたお金が返せない、ということなどです。お金がないときには友達でさえだんだん減っていくものなのです。

支払が滞り、ライフラインがだんだん途絶えていきます。家電はまあ消えますが携帯だけは最後の砦です。電気が停まります。家にいると真っ暗なので日が沈むともう寝るより他に何もできません。そうして最後に大家さんから部屋を追い出されてしまうのです。

一歩踏み出しましょう

本当にお金がないときを想像するととてつもなく大変なのがわかります。そうならないように収入口を作っておくことは大切です。副業に対して一歩踏み出せない方はこのような最悪のイメージを抱くことでお金の価値を再認識して前に進めるかもしれません。

是非、日頃の生活から意識をしっかり持つ習慣をつけていきましょう!

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